2011年5月30日月曜日

お客さん、ゼミ

先週のBBQにも来た修了生のMK君が、昨年入社した会社K's Brainの上司を連れてきた。夏の長崎丸航海には補助員として乗船してもらおうと思っているので、その打ち合わせも兼ねてだ。小さな会社で様々な調査を受けおっているようだ。何でもはっきりいう性格のMK君には、この会社の雰囲気があっているようで、上司とも上手くいっているようだった。社員が皆さん若い、元気な会社で、今後海の仕事にも進出したいようで、今後頑張ってもらいたい。
夕方は、HM君担当の輪読ゼミで、今回は「大気と海洋の循環」の前半で、基本的な大気の大循環と海洋の風成循環の話だった。ここはよく理解しておいて欲しい。

2011年5月29日日曜日

卒業生近況

もうしばらく前になるが、震災で大変な目にあったTY君の勤務先が清水になり、近くの東海大のTA君と会ったとの連絡があった。また、長崎水産高校に勤務していたIT君は島原の農業学校に転勤になり、なれない農業を教えているとか。みんなそれぞれ頑張っている。

2011年5月28日土曜日

焼肉パーティ

5月27日はJAXAに行くYH君の最後の日で、また先日のBBQの肉が多く残っていたので、インドの留学生ST君がチキンカレー、中国の留学生XYJ君がチンジャオロースを持ち寄り、再び研究室で焼肉パーティとなった。また長崎から来た学生が一人減ってさびしいが、研究室としては新人もいるし、JAXAなのでYH君にはこれからも頻繁に連絡を取ることになるだろう。いろいろと頑張ってもらわなければならない。

論文ゼミ

5月26日の論文ゼミはSCさんがHung, C.-C.(2010)のThe effect of typhoon on particulate organic carbon flux in the southern East China Sea, Biogeoscinece (東シナ海南部の粒状有機炭素フラックスへの台風の影響)について発表した。東シナ海や南シナ海を勢力的に研究している台湾国立大学のグループの論文だ。セジメントトラップを使って台風直後の粒状有機炭素フラックスを実際に測定したという意味では貴重な論文だ。ただ、台湾北部で台風が無くても湧昇が起きているような海域で、台風前のデータは別の年のデータで本当に比較してもよいのかどうか疑問が残る。またディスカッションも混合と湧昇を区別しておらず、リモートセンシングデータの解釈等もあまり説得力がない。われわれのグループでも、Ekoさんが東シナ海の台風の基礎生産への影響についてすでに3報の論文を発表しているが、それについてもあまりしっかり議論されていない。
 また今日はようやく赤潮プロジェクトの報告書を書き上げ、夜には初めて名大の研究所・センター長の懇親会に参加した。みなさん、よく飲まれる。

2011年5月23日月曜日

ゼミ、海洋環境緊急モニタリング

 5月23日はXYJ君の輪読ゼミで「海水の性質」だった。塩分、栄養塩、溶存ガスなど基本的なことの勉強だ。質問では学生から、なぜ永年躍層はなぜ出来るか、なぜ大西洋は表層塩分が高いのかなど大切な質問が出て議論をした。
 環境省の毎年の海洋環境モニタリングは、今年震災後の海洋環境緊急モニタリングとして行なわれる。明日はその委員会があるようだが、授業があるので、出席できない。ちょうど連休中に、震災直前から1ヶ月の東北から千葉までの沿岸域の表面水温、濁り、クロロフィルの画像を作ってあったので送った。
 これによると、濁りは津波の後数日は特に仙台湾を中心に高くなっているようだった。水温では震災後に銚子からいわきにかけての沖合いに黒潮の渦が発達している様子がわかり、原発の排水の挙動への影響が伺われる。又その時にいわき沖で沿岸湧昇が起きたのか、クロロフィルが高くなっており、生態系への影響の可能性も危惧された。

2011年5月22日日曜日

イルカ漁TV

 昨年10月に飛行機の中で見たコーブについて簡単にふれたが、今晩はその後の太地で反捕鯨団体が居座っている状況についてNHK特集をやっていた。太地は昨年11月に三重大学の勢水丸で寄港した勝浦に近く、その時も沖合いで追い込み漁らしき船団を見かけた。また太地町営くじらの博物館を訪ね、久しぶりに鯨も食したので、映画を見たとき以上に親しみがわく。
 コーブ上映阻止への動きにはがっくりしたが、今回の報道での反捕鯨団体の動きも困ったものだ。この団体は南氷洋で日本の調査捕鯨に対して過激な活動を行なった団体と同じである。南氷洋ほどの過激な行動は無いようだが、(ぎりぎりの)実力行使で住民の生活を妨害することは許されない。資源管理がきちんと行なわれ経済価値がある限り、かわいいから知能が発達しているからという反捕鯨の論理は通用しないのではないだろうか。
 ただ鯨類の有数の消費地でもある長崎でも思ったが、本当に現時点で日本の食料として鯨類がどれだけ必要なのかという疑問は残る。鯨食の文化を守るというのもあるが、実際に全国的に鯨食が広まったのは戦後の食料難の時代だろうし、文化をどこまで、どのような形で残さなければいけないかは、地域の問題のように思える。

2011年5月21日土曜日

BBQ

 5月21日はセンター外の木陰で昼間BBQをした。博士号を取得し来月からJAXA/EORCでPDが決まっているYH君の歓送会だ。野菜、肉の他、SCさんはわざわざ朝から蒲郡の市場で三河湾のクルマエビ、大アサリ(ウチムラサキ)、アオリイカ、メジロ(マアナゴ)を買って来てくれた。YH君もアユを持ってくるなど、地元のおいしい魚介類が豊富だった。お店とちがい、準備から片付けまでみんなで出来るし、自由にみんなで話したり遊んだりできるのがよい。おなかも一杯。

三河湾の大アサリ(ウチムラサキ、最近の外来種ホンビノスとは違います)、
クルマエビ、アオリイカ
ブイやコンテナが椅子代わり

2011年5月20日金曜日

S&T

 5月20日はサイエンス&テクノロジー社の市川さんと中根さんが。中根さんとは資環研時代にはよくお世話になったが、長崎に行ってから会っていないので、もう10年はたっている。もう、こちらの代表取締役で(株)日本海洋生物研究所の取締役だそうだ。学生のHM君も一緒に、両社の活動について聞く。(株)日本海洋生物研究所は海底資源採掘関連のアセス、S&T社は沿岸のGISやモデルを中心にやっているそうで、今後また協力をお願いしたいところだ。
 ところで今日はクラゲ関連予算の会計検査、森本さんも参加していることが書類上はっきりしていないところだけが気になったようで、特に問題なしでよかった。

2011年5月19日木曜日

論文ゼミ

 5月19日は三野助教のゼミ。Keyら(2010)のCell size trade-offs govern light exploitation strategies in marine phytoplankton. Env. Microbiol.(海産植物プランクトンの光利用戦略における細胞サイズによる交換)。同じ珪藻でもサイズによって、光の変化する環境における戦略が異なるというもの。大型の細胞は強光阻害を起しにくく、小型の細胞では強光阻害が起きても、すぐに修復するという戦略の違いがあるという面白い研究だ。先日博士をとったST君の仕事ともつながるところがある。最近の三野君の実験結果でも似たような感じになっているようだ。
 明日までクラゲの会計検査、何も変なことが無ければよいのだが。

2011年5月15日日曜日

諫早開門調査について考えるシンポジウム

 5月15日は佐賀大学であった、諫早開門調査について考えるシンポジウムに出席した。裁判で5年間の開門調査の判決が下り、菅総理が控訴しないことに決めた諫早湾であるが、実際に開門調査は何をどうするのか、充分議論は行なわれていない。海洋学会の環境問題委員会で議論をすることになって、春の学会でワークショップをすることになっていたが、震災で開催されなかったため、佐賀大学での開催となった。
 佐賀大の速水さんが概要の説明、濱田さんが開門した時の流動モデル、本中央水研の佐々木さんが水質への影響、九大の柳さんが潮汐への影響、熊本県立大の堤さんが底質・底性生物への影響、東北大の佐藤さんが韓国での開門との比較について話をし、その後討議を行なった。物理過程でさえ、まだ専門家の意見が異なっており、ましては化学・生物的な予想は難しい。参加してくれた漁業者はいまさらと思っていたようだが、残念ながらそれが科学の現状である。有明海異変と諫早問題とは同じではない、ごく一部の開門をすることで完全にもとに戻ることは期待できないという指摘は共感できた。開門することは政治的に決定されているので、科学として開門調査によって何がわかるのかをさらにしっかりと議論していかなければいけない。ただ開ければよいというのは調査と名をつけるには問題がある。以前私も訪れた韓国の干潟では、セマングムでは諫早に続けといっていたのに対して、始華湖では水質悪化から潮汐発電所に切り替えた。原発も問題になる中、こちらも潮汐発電所に乗り換える手は無いのだろうか。
 終わった後は関係者と佐賀駅近くの恵水産で反省会、ムツゴロウは以前佃煮で食べたが、今回は炭焼きで。昨晩は博多のわらびでイソギンチャクの空揚げを初めてたべ、お土産にはこのところ少し取れているというタイラギの粕漬けを買った。これらの珍味がなくなってしまわないことを望む。飲み屋にアゲマキもおいてはあったが残念ながら韓国産だろうとのことだ。

2011年5月13日金曜日

広島大学

 5月13日はXYJ君と広島大学の上さんのところにクラゲ研究の相談に行った。広島駅で昼にお好み焼きを食べてから大学に入った。
 衛星データとクラゲを結びつけることを博士論文のテーマとするXYJ君が質問をして、上さんに答えてもらうような形で進んだ。準備していたこともあり英語の質問もすんなり、上さんも教育的配慮のある返答をしてくれた。6月には実際にフェリーでの目視観測に参加させてもらうこととなった。
 小池さんと井関さんのところにもよった。小池さんは先日名古屋を訪ねてくれた長崎水試と一緒に観測をやっているそうで、われわれも持っているFlowCAMやPAMで仕事をしている。井関さんは人工湧昇の会議でしばらくあっていない私の先生の高橋正征さんとも会うようだ。
エチゼンクラゲのポリプを見せてもらう。

2011年5月12日木曜日

論文ゼミ

5月12日はOT君のゼミだった。Zhang ら(2006)のBridging between SeaWiFS and MODIS for continuity of chlorophyll-a concentration assessments off Southeastern China(南シナ海におけるSewWiFSとMODISのクロロフィル濃度の連続性の検証)。SeaWiFSとMODISというNASAの二つの海色センサーデータを南シナ海で比較したものだ。クロロフィルデータでは、それほど大きな違いは無く、現場とも比較的よく合うという結果だが、輝度ベースでの比較はしていないことが気になる。またこちらの研究室でこれまで行なった有明海や日本海ではそれなりに違いがあり、これは高濃度での比較があまりきちんとされていなかったからなのかもしれない。これから伊勢湾や東シナ海でもきちんと評価していかなければならない。

2011年5月10日火曜日

長崎赤潮

10日は長崎水試の北原さんが訪れた。有明海の出口にあたる橘湾での赤潮予測に衛星リモートセンシングが利用できないかの相談だ。橘湾で被害を起こすシャットネラ赤潮に関しては、有明海から出ていているという可能性が高い。これを事前に予測できれば、養殖業者が生簀を海中に伸ばすなどの対策が取れる可能性がある。海色衛星ですでに有明海から高いクロロフィルの水が出ている画像がしばしば見られている。有明海の奥は濁りが多く、われわれも長崎大時代からずっと取り組んできているが、まだ精度に不安が残る。しかし、湾後部ではある程度利用が可能かと思われる。JAXAやNPECなど衛星画像の利用できるサイトと注意点を説明し、今年度われわれのプロジェクトでも有明海の赤潮検出を行なう可能性について議論した。

2011年5月9日月曜日

連休後、お客さん等

連休明けの9日は学生とのミーティングや相談、お客さんの他、KT君のゼミと誕生会があった。
お客さんは関総テクノスの渡辺雄二さん。通産の炭素循環プロジェクトNOPACCSからの仲で、その後CO2海洋隔離プロジェクトの一環で長崎大学で博士号をとった。関電の子会社なので、以前私も関連していた原発関連の委員会の今後や、CO2の海底地中固定プロジェクトの様子を話した。今回の原発事故の影響もいろいろあるようだ。予算は厳しいかもしれないが、今回の原発事故で改めて影響評価の必要が明らかとなったのではないだろうか。また原発依存を緩めれば、CO2の問題を解決する必要があり、地中固定も重要なオプションの一つで、こちらも環境影響評価が欠かせない。

2011年5月7日土曜日

だいち運用停止

少し前になるが4月22日にJAXAの地球観測衛星だいちが運用停止したことが報じられた。2006年1月に打ち上げられ、設計寿命3年、目標寿命5年だからちょうど目標達成したことになる。
だいちは海洋の観測には少し頻度が少ない難点があり、個人的にはあまり利用していなかったが、赤潮等の海洋観測も行なわれていた。もともと陸上用の衛星であり、最近では東日本大震災の観測を行なっていた。
この前にあげられていた、みどり(1996年打ち上げ)、みどりII(2002年打ち上げ)はいずれも1年もたないで運用停止したことを考えれば格段の進歩である。しかし、みどり、みどりII、だいちともに、内容は異なるが太陽電池系のトラブルだ。海外の衛星では10年以上観測を続けているものも多いので残念だ。
また思い出したのが、内閣官房が運用している情報収集衛星についてだ。2003年以来5機は上がっていると思うが、その情報は全く公開されていない。国防に関連するとはいえ、これだけの税金を使っていて、まったくその情報が明らかにされていないことは許されるのだろうか。

2011年5月6日金曜日

学生ボランティア

今年になってからよく学生・PDとお昼を食べながら雑談をしている。今日は連休の間ということで、学生も少なかった。OT君から連休前半に行った東北でのボランティアの話を聞いた。彼はアレルギーのある子供への食料配布やその連絡などをしたそうで、広い範囲を運転して回り、いろいろな人に会ったそうだ。彼にとっては大変ながらもよい経験だったようだし、何より無事に帰ってきて何よりだ。この活動は組織だったものなのでよいが、中には組織等と関係なく個人で行ったものの、やることがはっきりしなかったり、怪我をしたり、食事等で、かえって地元の人に迷惑をかけるケースもあるそうだとか。これでは何のためのボランティアなのだろうか。彼らの力を上手く利用するためには、ボランティアを個人ではなくきちんと組織的に動かす仕組みづくりが必要なようだ。