2011年3月31日木曜日

長崎大OBお客さん

今日は長崎大学の練習船、長崎丸の航海士だったKさんが、研究室によってくれた。3年前に結婚して名古屋在住で、愛知県の水産高校の非常勤講師も勤めていて、御主人も市場に勤めて頑張っているようだ。一緒に船に乗った学生達とも懐かしい話もしていた。この学生の多くはもうすぐいなくなるが、Kさんにはたまにはよってもらいたい。蒲郡は幸い津波被害は無かったようで、何よりだ。

2011年3月28日月曜日

歓送会とお客さん

28日はJAMSTECから3名の訪問があった。中の原田尚美さんはここの前身である大気水圏科学研究所の半田研究室の卒業生で学生時代には、通産省の炭素循環プロジェクトNOPACCSの船にものってきたことがある。川上さんは夜も時間があるということなので、博士を修了して急遽就職が決まったST君の歓送会もかねて、いつものとりとり亭へ。川上さんはむつ在住だが、原発への不安が高まる一方で、原発に依存しなければならない地方の話を聞く。海産物は独特でおいしいらしい。ST君は前回の歓送会時にはまだ就職が決まっておらず、幹事役だったが、今回晴れて鉄鋼メーカの水質関連の子会社に。半田市は近いので、これからもよってもらいたい。

研究室片付け等

 学会が中止になったので、3月22日から25日は、久しぶりに研究室のミーティングと片付けを行なった。出て行く人もいれば、新たに入ってくる人もいる。4月からは大分人間が変わるので、片付けにはよい機会だ。かなりきれいになった。今年度予算の締めと、来年度予算の申請、さらに報告書書きもあり、学会に行っていたらどうなっていたのか。
 25日には吉報も入った。就職のまだ決まっていなかった新博士の一人ST君が4月を目前に会社に就職が決まったとのこと、うれしい限りだ。愛知県内とのことで、たまには研究室に来てくれるかもしれない。
 25・26日は私ごとだが、身内の不幸でお通夜と告別式に、元気で声の大きな叔父だったのだが。地震とは全く関係は無いのだが、どうしても地震で無くなった人たちと重なる。帰りに秋葉原の喫茶店で本当に偶然、昨年森本研を卒業したGA君と会う。お父様といっしょだ。東京に就職して元気に頑張っているようで何よりだ。

2011年3月22日火曜日

歓送会

 3月21日に研究室の歓送会を新栄の昭和食堂で行なった。東北・関東大震災の後で、このようなことをやってよいのか悩んだ。つい先日も無事を喜んだ後輩KKさんの御両親が津波の被害にあわれたとのつらい知らせも入ってきた。しかし、多くの被害が出てたからこそ、日本としては先へ進んでいくことが必要で、研究室を旅立つ学生達を送り出すことはやはり大切だと思い予定通り実行した。
 今回送り出したのは、長崎大の私の研究室で博士をとり、先に名古屋にPDとして来ていたESさん。彼はインドネシア出身だが、マレーシアに職を見つた国際派だ。私の息子と年の近い娘さんと息子さんがいたので家族ぐるみの付き合いだった。彼で思い出すのは、インドネシアの津波の時に、彼はインドネシアからの留学生の会の会長として、義援金を集めていたことだ。これからも国際的に活躍して欲しい。それから、長崎大出身で修士をこちらで終えたTT君は、東京のソフト系の会社に就職が決まって張り切っている。また長崎大で修士をとって研究生をやっていたAM君は、まだ就職が決まっていないが頑張ってほしい。他に博士を終えた3名もいるが、彼らはまた別に送り出すことになる。うれしいことに、みなからはやぶさの模型をプレゼントされた。

2011年3月20日日曜日

地震・津波

 今回の東北関東大震災と津波の被害は大変なものだ。幸いにして私の周辺の人たちは無事のようだ。石巻の造船所にいたTY君はGoogleの消息情報で無事が確認され、先日直接メールももらった。地震直後に逃げる間がなく、建造中の船に乗り、津波で沖へ運ばれ一晩漂流の末に救助されたとのこと。幸運ともいえるし、いろいろな場面での的確な判断もあったのかもしれない。多くの人に助けてもらったという彼の言葉は重い。東北大学の関係者もPD経由で無事の連絡が届いた。東北水研の皆さんも、産総研の原田さんや筑波時代の後輩のKKさんも無事との連絡があった。しかし、死者は7500人を超え、なお行方不明者も20000人近いということで、本当に痛ましい。
 また、福島第1原発の事故もなかなか先が見えない。いろいろと後手に回って避難を浴びてはいるが、こんな想定外の状況の中で手探りで対策を考える人たちも大変だ。ましてや放射線の高い中で作業をする人たちには本当に感謝したい。
 震災・津波・原発事故のために、様々のイベントが変更されている。来週予定されていた海洋学会も中止が決まった。また4月から日本に来る予定だったノルウェーのEgil Sakushaugさんは、原発事故で大学から渡航を控えるようにいわれているそうだ。ただそれだけではなく、年末に病気で倒れたこともその理由のようだが。原発も彼自身も状況がよくなったらぜひ改めて来て欲しいところだ。
 今回、韓国、中国、台湾、イギリス、フランス、ドイツ、アメリカ、バングラデシュと、多くの外国人から励ましのメールをもらった。本当にありがたいことである。
 こんな中で、自分は何が出来るのだろうか。海洋リモセンで出来ることは限られるが、東京情報大の浅沼さんは津波で流されたものがどこまで行っているかを海色リモセンでチェックしたようだ。われわれもインドネシアの時には、TCK君と論文を書いたが、これは非常に良い考えだと思う。韓国からも一部画像をもらったが、高解像度の静止衛星でリアルタイムにチェックできれば非常に役立っていたかもしれない。あとは自分の知り得た安否は学会のメーリングリストに流した。これは心配している人たちを安心させる意味ではよかったように思う。東北地方ではいろいろと物資が足りないようである。大学を通じてのささやかな寄付はもっとも確実にできることだ。なんとも歯がゆい限りである。
 三陸は日本にとっては重要な水産拠点であるが、それが今回の津波で壊滅的な状況だ。これをどのように復興するか、非常に大きな問題だ。この復興次第で今後の日本の水産業の将来が決まるともいえるだろう。魚種変遷のプロジェクト等で成果を挙げてきた東北水研等も被害は甚大だが、ぜひこの復興に一躍を担って欲しい。

2011年3月14日月曜日

学会中止

3月末に柏の東大大気海洋研で予定されていた海洋学会が震災の影響で中止となった。柏も被害があったようであるし、東北の被害の甚大さ、電力供給不安など当然だろう。新学会長の花輪先生も無事とはわかっているが東北大で大変だ。
今回は学生のOT君が伊勢湾での衛星クロロフィルの継続性のことについて、XYJ君がエチゼンクラゲの大発生が2008、2010年に起こらなかったことと春先の水温の関係の可能性に関して発表する予定だったが、要旨集だけの発表となった。また、通産省工業技術院(現在の産総研)時代に一緒にやっていた環境総合テクノスの石田君が、炭素循環のプロジェクトNOPACCS, WEST-COSMICのデータで書いたJournal of Oceanographyの論文 Possibility of recent changes in vertical distribution and size composition of chlorophyll-a in the western North Pacific region, J. Oceanogr..65, 179-186.
(西部北太平洋域でのクロロフィルaの鉛直分布とサイズ構成の最近の変化の可能性)が論文賞をもらったお祝いをすることになっていたので、やや残念だ。

2011年3月12日土曜日

第2回海洋環境調査モニタリング委員会

3月7日は環境省の海洋環境調査モニタリング委員会が開催された。2月4日に続いて第2回である。前回、新潟沖の調査に関連して衛星情報を求められたので、提供した。これまで新潟沖はあまりリモートセンシングで見たことが無かったが、沿岸に水温が低く、クロロフィルが高い沿岸湧昇的な構造が見える。沖合いの水との境界面には北西に向かって移動する渦が見え、対馬暖流の影響が見える。この委員会で話題になった場所は、かなり変化の激しい場所のように見えることを報告した。

富山・東北地震

3月11日は富山の環日本海環境協力センターで富山湾プロジェクトの委員会。NOWPAPに関連して、富山湾での調査の報告会だ。東北地震の直後、自分の発表直前に体調不良で失礼してしまった。
東北の地震は富山や名古屋では問題なかったが、ひどいものだ。東京でも交通機関が泊まったとのことで、一昨日東京にいたので、ずれていたら大変だった。東京にいる家族も何人か家まで歩いて帰ったとか。それより大変なのは東北と茨城だ。卒業生の一人YT君が石巻の造船所にいるはずなので心配だ。海洋関連ではあと大槌に東大大気海洋研究所のセンターがあるし、塩釜には東北区水産研究所があるので、心配だ。つくばもどうなのだろう。ありがたいことに海外の知り合いからは随分とたくさんのお見舞いメールをもらった。

2011年3月6日日曜日

伊勢湾流域圏国際ワークショップ

 3月4・5日はGCOEの伊勢湾流域圏国際ワークショップが開催された。1日目は主に都市の話で、2日目は海と大学としての取り組みが主に話された。1日目の中では昨年10月にいったポートランドの取り組みが話され、実際に昨年行ってみて、路面電車とそれに自転車を乗せられるシステムにはとても感心したが、アメリカでも進んだ試みのようだ。また愛知県でも多様性COP-10の後の試みが照会された。
海関連は韓国釜慶大学校のRyu先生が韓国での災害・環境・水産からの沿岸管理を合わせた試みに関して話をされ、特に基礎生産に着目された話には興味がわいたが、まだコンセプトの段階という感じがした。また愛知水試の和久さんが、先日の三河湾の委員会でも照会された、三河湾でも浅場再生についての話をしてくれた。ダムの砂を利用することを考えるなど、先進的な取り組みはすばらしい。ちなみに和久さんとは20年ほど前に彼が学生の時に船に一緒に乗ったことがある。和久さんとは今後いろいろな意味でお互いに協力することで話をした。

2011年3月3日木曜日

伊勢湾報告会・三河湾委員会

3月3日は午前中、名古屋大工学研究科の辻本先生の振興調整費 『伊勢湾流域圏の自然共生型環境管理技術開発(H18~22年度)』の成果報告会に出席した。午前中は辻本先生から、全体像の紹介があった。陸域の負荷を流域の中の「地先」別にまとめていき、さらにそれをまとめて、陸域への負荷を計算し、伊勢湾内では流動モデルをもとにした生態系モデルで、特に水産的に重要なアサリを中心にまとめ、生態系の健全であった1960年、現在の2000年、将来の2030年を計算し、比較するという手法は非常にわかりやすく、共感した。ただ、海の中に関しては、詳細はわからなかったがまだまだ不十分である様に感じた
午後は個別の話があったが残念ながら出席できず、三河湾の物質循環の健全化に関する委員会に出席した。こちらは海を中心としてた試みで、負荷削減を中心に行なうのではなく、干潟や藻場などの復元が重要だという考え方で午前中の陸中心の考え方と大きく異なった。三河湾の生態系が比較的よかった1960年と比較して、最近失われた半分の干潟が回復され、さらに今後そのレベルにもどす試みが行なわれていることは非常によいことと思われる。ただそれでも昭和30年代と比較すると3-4分の1とのことで、まだまだ少ないのかもしれない。いずれにしても、陸域からの負荷と海域の浅場の役割について、今後もそのバランスは議論する必要があると考えられる。
その後、資環研時代に何度か会っていたCT&Cの田口さんが、何と長崎大学に行かれる壮行会が「座座はなれ」であるとのことで出席した。工学系の日中韓のプロジェクトの特任とのことだ。長崎大の懐かしい人達の名前も出てきた。資環研時代の上司で三河湾の委員長である中田喜三郎さんも今年で東海大を退官で、前愛知水試場長の論客鈴木輝明さんと同じ名城大学にこられるとのこと、皆さんとは今後もさらにみつにお付き合いしたいところだ。

2011年3月1日火曜日

北大低温研委員会・JSPSアジア沿岸海洋


2月28日は北大低温科学研究所の共同利用の委員会で札幌へ行った。この研究所は由緒ある研究所で、名大の水循環研究センターや東大の大気海洋研、九大の応用力学研究所のように全国共同利用施設となっている。今回は、共同利用に関する公募申請の採択と今後の公募に関する議論をする委員会であった。海洋だけではなく、様々の分野の応募があり、活発に研究が行われていた。
予定より早く委員会は終わり、その後、地球環境科学研究院に行き、海色リモセンの平田貴文さんや化学の渡辺豊さん等と今後の研究等に関しても話をする時間が取れた。渡辺豊さんとは筑波の資環研(現在産総研)以来の仲で、やはり資環研にいた低温研の福井学さんと懐かしい3人で、炙屋でおいしい魚で一杯やった。さらに豊とすすき野のバー山崎、最後は白樺山荘のラーメンで締めた。泊まりはすすき野のドーミーイン。ちょっと露天風呂が狭いがよい風呂だった。
低温研(正面)にいたる白樺並木。右は重要文化財の札幌農学校の農場。
北大の中のデートコースだが、吹雪の時には遭難する人が出るとか?

3月1日は札幌から東京へ移動し、東大の大気海洋研究所で、JSPSの東南アジアの沿岸海洋学に関する会議に出席した。これは東南アジアで、特に海洋生物関連のネットワーク作りを目的に10年間続けられたプロジェクトの後継プロジェクトだ。リモセンを含めた物理、HAB、プランクトン、海藻・海草、ベントス、魚類、汚染物質のグループで、インドネシア、マレーシア、ベトナム、タイ、フィリピンの人たちと研究を進めている。東南アジアの国相手に対等のお金の負担を要求するなど、若干問題はあるが、これで東南アジアの各国と協力して沿岸海洋研究を進めることは非常に重要である。研究室のEko Siswantoさんがマレーシアの大学に移動し、ベトナムから10月には学生が来るなどするので、今後貢献が出来ればと思う。