2010年12月28日火曜日

研究室忘年会

今日28日は研究室忘年会。直前まで、博士の二人の発表練習を4時間半頑張ってから行った。中国料理の浜木綿は歩いて20分ぐらいとややあるが、私のいつものルートなのであまり気にならない。今回は、研究室の助教1名、PD2名、学生7名、秘書のほか、私とESさん、AWさんの家族が6名(小中学生4名を含む)と、別研究室だが近いIさんとI君で、計22名の大人数だった。来年は長崎から名古屋につれてきた博士、修士が出て行くことになりそうだが、入ってくる学生もいて(たぶん)、いろいろと研究室の雰囲気も変わりそうだ。来年も楽しくやりたい。

2010年12月27日月曜日

第2回三河湾委員会

27日は博士論文・修士論文の指導と研究室訪問の相手をしてから、第2回三河湾委員会へ。11月12日にもあった物質循環健全化計画の第2回目だ。三河湾での問題点の整理は大分進んでいる。それに基づき現場調査とモデルとのすり合わせいについても議論。アサリや動物プランクトンによる捕食などの実験的手法の提案はなかなか意欲的でよい。

結婚式

今年も押し迫った26日に、佐世保の雪の中で結婚式に出席した。新婦は長崎大学で松野さんが指導し、松野さんが九州大学に移動した後、私が博士の審査をしたMNさんだ。博士をとったのがもう10年以上前だ。その後(株)西部環境調査に就職し、片上湾の赤潮調査ではすっかりお世話になった。当時私の研究室ではKYさんが初代姉御、MNさんは大姉御と呼ばれていて、いろいろな意味で存在感があったが、やはり会社でもしっかりとみんなを束ねているようだ。
お相手はヨットマンで、いつも二人+αでレース等に出ているようだ。MNさんのお父さんもお爺さんも船関係とのことで、本人曰く血は争えない。
新郎新婦合わせて80歳を超えるが、よい夫婦の誕生だ。
海洋学会の有名人岸さんが来ていたのもびっくり。
博多のドーミーインに泊まって朝から佐世保に行ったが、博士論文の添削で5:00起きだった。

2010年12月22日水曜日

ALOS利用協議会 調整・計画部会議

22日は夕方からRESTEC(リモートセンシング技術協会)のALOS(だいち)利用協議会 調整・計画部会議に出席。この委員会はALOS打ち上げにあわせて6年前から開始されたようだが、その後ALOSの成功など情勢の変化にあわせ、今後どのどのように進めていくのかを議論した。
私は今回初めて出席のため、経緯の報告でようやく状況がわかってきた。私は高解像度であるが観測頻度の低いALOSはあまり利用していないが、委員会自体をALOSに限らず、今後の衛星データの実利用に焦点を合わせ、人のつながりから将来を探るとの説明で納得した。委員会の別名を「芋づるネットの会」とするのはなかなかのアイディア(さすがこの道の重鎮の坂田先生)だ。
衛星データは、正直費用の割りにはまだまだ充分利用が行なわれていないことが問題で、今後いろいろな意味での利用を拡大するべきであることに対しては共感する。ただ公共に利用することと、商売に利用することにはいろいろな意味で違いがあるので、その違いをはっきりさせながら議論は進めなければいけないことはみんな同意できた。また、国内にかぎらず世界に売り出す必要も合意が取れた。
最後はそのまま飲み会へ。坂田先生を初め、この世界に長い人が多く、RESTECも森山さん、春山さんと、みどり(ADEOS)時代に頑張っていた人がリードを取っていることには問題はある。もちろんあちらもその問題点はわかっており、若い人にもつなげたいとの話題にはなった。

2010年12月20日月曜日

第7回日韓海色ワークショップ

18・19・20日と函館で海色リモートセンシングのワークショップを開催した。韓国とはすでに今回で7回目となる日韓海色ワークショップを開催しているが、今回はその会場を北大水産のある函館にお願いした。HyARCの国際研究集会支援としておこなった韓国とのワークショップに、あわせて開催した国内の研究集会と、さらに北大の平田さんがJSPSのお金でアジアの人を呼んでくれたため、今回は60名近くの大人数のワークショップとなった。韓国とはこれまでもわいわいと楽しくやってきているので、今回もそれにならって楽しく、かつ実りの多いワークショップとなった。
今回は韓国が世界で始めての静止海色衛星をあげて、徐々にデータが出てきたので、その情報を知るのがもっとも大きな成果となった。それなりにデータ処理は進んでいるようだが、まだまだデータ配布までにはやることは多そうだ。東南アジアとの協力も着実に進んでいて、2014年に上がる日本のGCOM-Cに向けた体制作りもうまくいっている手ごたえがあった。何といっても、北大の平田さんと平譯さんが頑張ってくれたことが、ワークショップを成功させた。名古屋からも私とPDのESさんの他、修了間際で忙しい4名を含め、学生全員が参加し、英語のポスター発表をし、また楽しんだ。
17日夜はホテルグランティアで温泉に入ってから学生と韓国人をつれて、居酒屋へ。紹介してもらった店が小さすぎたので、ネットで調べて行った函館番屋はいまひとつ。でも油ののったシマボッケはさすがにおいしい。18日夜はみんなでかにのはこだて亭、19日夜は函館ビヤホールと文句なし。19日はその後歴史のあるバー杉の子へ。斉藤さんが造ってもらっている新しいカクテル「おしょろ丸」の試飲。AからFまでためす。ウォッカベースでベーリング海の円石藻類ブルームのような青さだ。長崎丸も作ることを九大の松野さんと相談してみよう。20日昼は定番の回転寿司の函太郎と自由市場に連れて行ってもらってから東京経由で名古屋へ。


2010年12月16日木曜日

調査会社の卒業生

今日はこの春博士課程を中途退学して調査会社に就職した卒業生(?)のTM君が遊びにきた。正規職員7名、創業4年の若くて小さな会社で、社長はまだ30代で、TM君が一番若いとか。いろいろなところに調査にいって、かなり忙しそうではあるが、彼はやりがいを感じて楽しくやっているようである。会社としては若い人を雇いたいそうだがなかなか人がいないとか。この就職難で不況の時代でも人気はない(?)が元気な会社があるということに驚くとともに、安心した。チャレンジをしていく人と会社がある。それが本来の姿だろう。
研究室も修了を控えた4名もいるし、明日からはみんなで函館での国際ワークショップに参加するので、その準備でにぎやかだった。途中からはTM君が送ってくれた生酒も飲みながら、わいわいとすごした。
新たに研究室訪問の問い合わせもあったし、来年10月から二人の留学生が来ることがほぼ決まり、春に4名が卒業してもそれなりににぎやかになりそうだ。

諫早干拓上告断念

諫早干拓の開門に関する裁判で、菅総理が上告をしない方針を固めたようだ。いろいろ大変な状況の菅総理だが、これに関しては思い切った決断をした。しかし、一方で干拓を推進してきた人たちの反応以外にも様々な問題がある。
諫早湾でおこっている漁獲減少や赤潮増加、貧酸素増加など様々な変化は、諫早湾の締め切り後には確かにひどくなっているが、多くはそれ以前から徐々に起きていることで、締め切りは最後のダメ押しかもしれないが、それだけで起きているわけでないと思っている研究者も多い。その中で、開門をすることによって、本当にもとの状態に戻るという保証は全くない。また現状の堤防の内側の調整池には、有機物と泥を大量に含む濁水がある。開門をするには、これをどのようにコントロールし、有明海自体の環境をさらに悪くしないかを考える必要がある。
海洋学会でもこのあたりを議論するという話があったが、まだ出来ていないため、早急にワークショップを開催するという話になっている。
ただ、このまま何もしないで、死んでいくのを見ているよりは、何らかの形で一歩進めることはよいことかもしれない。

2010年12月10日金曜日

長崎丸

来年度の韓国排他的経済水域での長崎丸の東シナ海での航海について長崎大学経由で文科省の質問が来た。北朝鮮が韓国を砲撃したことで、東シナ海を巡る国際情勢が悪化し、韓国排他的経済水域に日本の練習船がいく必要があるかどうかを心配しているのだろう。中止する気があるか、問題があった時にどうするかということを聞かれた。戦争をしているのだから心配するのは当たり前ではあるが、聞いてどうなるのか。前回韓国船が沈没したことで、一般船は普通に入っているのに釜山入港を中止させられた某法人の研究船よりはよいが、半年以上先のことを心配しすぎのようにも思う。
長崎丸といえば、大学の運営交付金が少なくなることで、来年の航海はこちらの金銭的な援助を期待されている。これもある程度は仕方がないことではあるが、東シナ海で若い人たちを含めて日中韓共同で調査することは、日本としても長崎大としても大切なことではないのか、そもそもそこまで大学予算がきびしくなることは、さびしい気がする。もちろん九大等とも協力して何とか、資金を集めてでも続けるつもりではある。

2010年12月9日木曜日

平成22年度赤潮・貝毒部会

12月9日は朝から、広島の国際会議場で行なわれた平成22年度赤潮・貝毒部会に出席した。これは毎年(独)水産総合研究センターの瀬戸内海区水産研究所がまとめ役として、各県の水産試験場が各県で起きている赤潮の状況を発表するとともに、一部研究成果も行なうものだ。各県の報告は昨日で聞くことが出来なかったが、現在行なっている「衛星データによる赤潮被害軽減実証試験」のプロジェクトの報告を私と大分県の宮村さんがした。衛星データに対する期待は大きいように思え、来年は講習会等を開く可能性についても議論した。ことしは八代海でChattonellaという種類の赤潮がひどかったことが報告され、その移動のモデル化などにつても報告された。モデルと衛星データの組みあわせが出来ると、今後の予測に役立つはずである。
知った顔に挨拶されたと思ったら長崎大学水産学部の出身者のKNさんだった。佐賀水試の赤潮担当になったとのことで、今後の協力が期待できそうだ。

2010年12月8日水曜日

東京ー名古屋ー広島

12月8日は大変な一日だった。本来6日から宇宙航空研究開発機構(JAXA)の、GCOM-Cの会議だったが、都合がつかず昨晩から東京に来て飲み会だけ参加し、今朝は自分のプレゼンだけ行なった。内容はGCOM-C用に現在開発している基礎生産と赤潮のアルゴリズムの報告だ。
それが終わって、名古屋に戻り、今年度で修了しようとしている、博士課程の3名の予備審査願いの会議をした。3名分の博士論文の内容を会議で説明し、他の先生がたから意見をもらう。なかなか疲れた。最終的にそれぞれの内容は問題なく、これから予備審査に進むことで合意された。これから2月の本審査が終わるまで、まだまだこちらも手が抜けない。
さらに会議の後に、明日の赤潮関連の会議のために、広島へ。

2010年12月3日金曜日

第6回伊勢・三河湾の漁業と環境を考える


12月4日に水産海洋地域研究集会 『第6回伊勢・三河湾の漁業と環境を考える』が三重県桑名市のはまぐりプラザであった。まず驚いたのが、町で見かけたポスターの議員さんの苗字も貝増さんということと、会場に行くと漁協員と思われる若手が何人もいることだった。このあたりは、ヤマトシジミとハマグリの漁獲を安定化させることに成功しているようで、特に、資源管理や人工干潟の建設などかなり画期的な取り組みをしてきたそうだ。さすがに漁協長さんの話は迫力があった。四日市公害のあたりで、魚漁業が難しくなり、貝もとりすぎてしまった後、かなりの努力で再生をしてきたそうだ。
また伊勢湾・三河湾の話だけでなく、英虞湾で干拓されたが休耕地化しているところに再生化する試みが紹介された。これは諫早湾の問題と関連して興味深かったが、おそらく諫早湾とは大きさも違い、また調整池のないようなのでかなり状況は異なっている。しかし、着実にこのような干潟回復の動きが進んでいることは心強い。
会場のはまぐりプラザではまぐりが食べられたようだが、1週間前予約ということで、食べそこね別の店で食べたが、本当に桑名産であったかの確証は持てなかった。充分においしかったが。